本当はすごい福岡市博多区の遺跡「比恵・那珂遺跡群」を紹介
JR博多駅から竹下駅周辺に広がる「比恵・那珂遺跡群」は今から約2000年前にたくさんの人々が暮らし、政治や交易に中心として栄えた場所だそうです。
実はここで発見された様々な遺物から、多くの発見が生まれています。
遺跡群はいつ発見されたの?
比恵・那珂遺跡群は旧石器時代から戦国時代までの長い時代に渡り人々が暮らした跡になります。
大正時代に歴史的重要性が評価されて、昭和13年に初めて発掘調査が行われました。
今でも、新たな開発や土木工事などの際にはその都度発掘調査が行われ、その回数は338回に上ります。
余談ですが、ということは土地の所有者の方や建設会社はなかなか建物を建てれなくて結構大変だったと思います。
実は奴国の中心地だった
弥生時代に大きな権力を持っていた「奴国」の名は、福岡市東区にある志賀島で発見された「金印」に刻まれているほか、中国の史書「魏志倭人伝」にも登場します。
当時、遺跡群は奴国の中心地として栄えました。
国内外の土器も発見されて、ここで交易が盛んに行われていたことが分かりました。
古墳時代の初めには、当時の王様のお墓とされる前方後円墳「那珂八幡古墳」や、当時の道路と思われる全長1.5kmの並列溝が作られるなど、発展が続いていたことが明らかになりました。
なんと日本書紀にも登場している
奴国の衰退後に実権を握ったとされる「ヤマト王権」が造った倉庫群の跡も、遺跡群内の「比恵遺跡」で発見されました。
柱が建っていたとされる穴などから、倉庫が整然と並べられていて、周りは厳重な柵で囲われていたことが分かっています。
ここは「日本書紀」に記されている、当時(西暦536年頃)に非常に備えて各地から集めた食料を保管する重要な施設「那津宮家」(なのつのみやけ)であったと言われています。
現在は住宅地内にあるので、発掘調査がされた跡はもとの更地に戻されるので当時の面影は残っていません。何気なく歩いてみると歴史を知ることで違った景色に見えるかもしれません。
また、発掘された文化財は福岡市博多区にある「福岡市埋蔵文化財センター」で見ることができます。
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